2017年9月アーカイブ

9月17日にICEE 2017に参加しましたので、その報告をします。

ICEEとは、Inter-Cultural English Exchange。

「紘道館館長・松本道弘氏が29年前に開発したスピーキング実技試験」

「「検定試験」であると同時に、参加者の「交流」を重視した 「紘道館」の精神を象徴する英語イベントでもあります。」 

とホームページに説明があるのですが、
要はスピーキングの検定試験のようなものでした。

同時にお祭りであり、参加者同士の交流の場であることが特徴です。

今年は30周年ということで、検定後に懇親会もありました。

私は昨年見学参加し(午後のみ見学可能)、今年初めての参加でした。

今年は60名程度が参加していたようです。

午前の部は非公開で行われ、8人グループに分かれて、5種類程度のスピーキングのテストをネイティブ相手に受けます。

その結果、上位24名が午後のトーナメントに進めます。

私はあえなくここで敗退となりました。

午後はまず、4人チームとなりチームでディベートをします。チームではなく、個人で選ばれる上位12名が次の同時通訳に進みます。

今年はK1ファイター、小比類巻選手が来場し、日本語スピーチをし、12名が1分ずつ日英同時通訳をしました。

次に全米ディベートチャンピオンのアメリカ人が英語スピーチをして、それを12名が1分ずつ英日同時通訳をします。

この人の英語はそもそもよく聞き取れませんでした。なので私にとっては同時通訳以前の問題です。

そして上位4名が次へ進みます。2人で組となり、2名のネイティブチームに対して、与えられたシチュエーションでネゴシエーションをします。

そして上位2人が最後のジャーナリスティックインタビューに挑みます。

今回はメトロポリス(https://metropolisjapan.com/)という英文雑誌の編集長の方が来場し、2人の方がインタビューしました。

そして優勝者が決まります。

午後のトーナメントでは、私のような午前敗退者と、午後から見学の方が検定の様子をまじかに見ることができるのですが、皆さんほれぼれするほどの英語の使い手でした。

というわけでこのICEE、しゃべりっぱなしの検定試験なのです。

午前敗退の原因と対策を考えつつ、来年の午前の部突破を誓うのでした。

前回取り上げたtouristyがバイリンガールでかぶりましたので共有しておきます。


前回ご報告した長崎への旅で泊まったゲストハウスでフランス人旅行者と話したのですが、面白い話を聞けました。

その人はモンゴル、韓国、日本と4か月ほど旅をしている自由人。そこのゲストハウスの仕事を手伝いながら、ただで泊まらせてもらっているとのこと。

こういう形態でモンゴル、韓国、日本を旅をしているそうで、世の中にはこのような、労働と宿泊費の交換を仲介するサービスがあるとのこと。

以下の二つのサービス、workaway, helpxを教えてもらいました。

https://www.workaway.info/
https://www.helpx.net/

これらのサイトは、旅行者は労働を提供する代わりにタダで泊まれ、泊める側は労働者に賃金を払う必要がないわけです。

Lesson 10 (1)風に言うと、
These websites connect adventurous travelers who don't want to pay the rate with hosts who don't want to pay wages.

今回のレッスンでも food-sharing service が話題になったように、世の中はシェアリングエコノミーが流行っていますが、このworkaway, helpxは物々交換経済に戻ったかのように感じます。

ここでは各種サービスの体験談が書かれてあります。
https://www.twoscotsabroad.com/workaway-and-helpx/

職を失ったらworkadayで世界を旅するのも面白そうです。

夏休みに五島列島の福江島に行ってきました。主な観光ポイントは教会です。五島列島は隠れキリシタンで有名でして、私もその名前は知っていましたが、今回、歴史資料館等で、その歴史を詳しく知りました。

つまりこういうわけです。

戦国時代末期にキリスト教徒になった日本人は全国にいましたが、当時の幕府の弾圧によりその数は減少していきます。宣教師も国外追放された後、長崎県や天草地方には、多くのキリスト教徒が、表向きは仏教徒のふりをして信仰を秘密裏に守り続けました。

およそ250年後の幕末、長崎に大浦天主堂が建てられたとき、浦上村の信者が大浦天主堂のフランス人神父に、自分らが教徒であること告白しました(信徒発見)。

やがて明治時代となり、キリスト教が解禁されましたが、それは隠れキリシタンの人々にとっては新たな試練でした。

というのは、250年間、教会の指導無しに自分たちだけで守ってきた行事が、カトリックのものとは似ても似つかないものに変わっていたのです。仏教や神道の影響があったのかもしれません。

多くの信徒はカトリックに復帰したのですが、復帰しない人もいました。そういうわけで、今日でも隠れキリシタンは存在するのでが、後を継ぐ人が少なくなっているらしいです。

今回、長崎市の日本二十六聖人記念館で、五島列島に伝わる隠れキリシタンのクリスマスの行事の記録映像を見ることができたのですが、とても和風でした。

★★★

私は「隠れキリスタン」です。

中学、高校と受験英語を勉強し、社会人になってからも書店に並ぶ様々なテキストや、我らがNHKラジオ講座などを頼りに学習し、TOEICや英検でスコアを伸ばします。

ある程度の自信を持ってアメリカに行きますが、多くの同じような方と同様に、全く英語がわからないという経験をします。

聞き取れないし、言い回しも違うのです。


神父様

これが本物の英語ですか。今まで日本で勉強してきた英語と全く違うではないですか

日本で使っていた英語の教材は何だったのですか。テキストの英語と本場の英語は違うではないですか

日本で使われている教材は本場の英語との接触を失い、ガラパゴスしてしまったのですか


私は浦上村の隠れキリシタンでした。


本物の英語を知った時、生の英語を使った勉強に切り替える人はカトリックに復帰する人です。

一方、日本製の教材で勉強を続ける人が、隠れキリシタンにこだわる人です。

私はいまだにビジ英を中心にやっているので、いまだに隠れているのです。

やるべきことはわかっているのにコンフォートゾーンから抜けられない。

そんな私です。

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日本一美しい高浜

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