Yoshinori Honda: 2015年3月アーカイブ

米国赴任98週目が終了。

先日来のマイブームである日系アメリカ人の強制収用の件の続きです。San JoseにあるJapanese American Museum of San Joseに行った際、Blossoms in the desertという本を買っており、ぽつりぽつりと読んでおります。

Fred Korematsuも収容されたアリゾナのTopazキャンプ内の高校の1945年度の卒業生による回顧録です。同窓会に集まった同窓生がキャンプでの高校生活を記録に残すべきと考え、卒業後60年経ってから出版されました。

わたしは収容キャンプの高校とはどんな生活だったのか、興味深いと思って買いました。

まだ最初の3人分しか読んでませんが、このキャンプのスタッフであるアメリカ人の子供も同じ高校に通っていて、寄稿しています。その男性は高校生時代にキャンプの日系人女性と付き合うようなことはなかった、などど振り返っています。

今まで読んだ限りでは、ダンスパーティがあったり、普通のアメリカの学校生活を送ろうとしていたようです。

あと54人分ある。。。


米国赴任97週目が終了。

今回のビニエットの話題は「The Woes of Traveling(旅の災難)」でした。

私の経験ではタクシーで遠回りをされるのがいやですね。

LAのダウンタウンのホテルからドジャースタジアムまでタクシーに乗った際に、途中の住宅街に迷い込みやがって、お金も時間も余計にかかってしまったことがあります。

ヨーロッパでも、ホテルからレストランまで明らかに遠回りされたことがあります。

乗り物と言えば、タイのバンコクでバス停にいたら、近づいてきた英語を喋る男1(この段階であやしい)の誘いにのり、3輪タクシーのトゥクトゥクの運転手2、さらにはSitting Buddaの寺に偶然(という設定で)いた第3の男との連携プレーにより見事スーツを買わされたほろ苦い思い出があります。

米国赴任96週目が終了。

ついにこの日が来ました。

12月に網膜剥離の手術をして以来3カ月、私の右目にはガスが注入されており、2000feet以上の高地は禁止、飛行機も禁止、さらに(これが最初は大変だったのですが)寝るときはうつ伏せ寝(横向きも可)を強いられてきました。

日々、ガスの大きさは小さくなってきているのが見えていましたが、数日前についにガスがなくなったのです。3カ月ぶりに仰向けに寝られるようになりました。ぐっすりと寝られます。

さて、本題です。
先日来のマイブームである日系アメリカ人の強制収用の件の続きです。前回はFred Korematsuの子供向けの本(書名について問い合わせがありました。When Justice Failed: The Fred Korematsu Storyです。)を読み、日系人のみをキャンプに収用するという当時のアメリカの非道に憤慨したというところまででした。

先週、San JoseにあるJapanese American Museum Of San Jose ( http://www.jamsj.org/ ) に行ってきました。自宅から車で20分程度の近さですが初めてでした。

この博物館はSan JoseのNihonmachi(日本町)というかつて日系人が多く住んでいたエリアにありました。今では日本食レストランなどが点在するエリアになっています。

さて、この博物館では日系人抑留の展示がメインとなっており、その歴史を学べました。ボランティアのガイドの方がつきっきりで説明してくださいます。私のガイドの方も母親が日本人だったということです。

ここで私はキャンプに関する新しい知識を得ました。日系人の収容キャンプはアメリカ西部(砂漠とか、湿地など環境は悪い)を中心に10か所程度あり、それぞれ一万人規模を収用していました。

鉄条網で囲まれ、外部へはいけないようにしてあったキャンプ地でしたが、鉄条網を超えても周りは砂漠だし、日系人を受け入れる町など周りにはない状態でした。

バラックと呼ばれる建物の一部屋に家族で住み、個人のプライバシーは家族内でも保てなかったようです。隣の部屋との壁が天井まで届いていない構造のため、隣の家族の生活音も筒抜けだったと思われます。

キャンプの中には食堂(mess hall)や、売店、学校もありました。大人は仕事をして、雀の涙ばかりのお金をもらっていました。学校ではスポーツなどのレクリエーションや、外部の学校との対抗戦などもあった模様です。

収用キャンプにはWar Relocation Authorityが運営する収容所の他にも、Department of Justiceが運営する収容所もありました。後者にはなんと日系人以外にもイタリア系アメリカ人やドイツ系アメリカ人も全員ではないにせよ収容されていたというのです。さらにアメリカは中央アメリカ、南アメリカに住む日系人もここに収用していました(例えば日系ペルー人など)。アメリカよ。。。

一方、カナダ西部でも日系カナダ人を収用するキャンプがカナダ政府により運営されていたとのことです。

Fred Korematsuに関する展示も大きなスペーが取られており、ガイドによると彼はヒーローだ、ということです。

先日、ハワイの日系人収容キャンプ跡地を史跡(National Monument)に指定するとオバマ大統領が発表しました。実はハワイの日系人は1%程度しか収容されていなかったそうです。西海岸では全員が収容されていたのとは対象的です。この理由は当時ハワイの日系人はハワイ全人口の35%を占めており、欠かせない人材であったこと(西海岸では1%以下?)、そのため日系人に対する偏見も少なかったことが考えられるとガイドは言っていました。

長くなってしまいました。今日はこの辺りにしておきます。

博物館で撮った写真を載せました。

最後に申し上げます。サンフランシスコに来られた際には、オークランドの猫カフェよりも、サンノゼのこの小さな博物館にこそ行くべきであると。

2015-02-22 14.02.41.jpg
最高裁まで闘った人たち
米国赴任95週目が終了。

先日、Fred Korematsuのイベントに行ったという話をしました。

Fred Korematsuは第二次世界大戦時に大統領令により日系アメリカ人の一人としてキャンプに強制収容されます。人権派弁護士の助けを借りて最高裁判所まで戦いますが破れます。40年後に当時の政策が誤りだったことを再び裁判所に認めさせます。

このFred Korematsuの本を読みました。子供向けの本なので大変読みやすかったです。

この本を読んで知ったことは、当時アメリカは日本、イタリア、ドイツと戦争をしていましたが、強制収用所に入れられたのは日系人のみということです。つまりこれは人種差別だったのです。

当時のアメリカはすでに民主主義国家であったにもかかわらず、日系人のみを敵視するというExecutive Orderを出すというところが根深いなあと思いました。

ただ、第二次世界大戦当時にも、大統領令の不当さをFredとともに正そうとする人権派弁護士がいたり、40年後に当時の記録から政府側弁護士の嘘の供述の証拠を見つけて、最高裁判所の判決の不当さをFredとともに訴えて、正義を勝ち取った弁護士がいたりと、いい話も含まれています。

そして、すべてのアメリカ人に対する自由と正義の権利を今後も保証することを誓うために、Fred Korematsu Dayが全米各州で制定されたのです。

オバマ大統領がハワイの強制収用所跡を国の史跡にするというニュースがありましたが、私にはタイムリーなものになりました。


この本は子供向けですが、1ページに1つくらい、わからない単語があリました。(これに比べてThe sixth extinctionときたら。。)

子供向けの本ながら、おやっと思った表現がありましたので、いくつか紹介します。

まずは出だしの文章。

Fred was born Toyosaburo Korematsu in Oakland, California, in 1919.

bornの後に前置詞がないのが新鮮です。

Toy and his brothers grew up in a small white house that sat on the grounds of his family's sprawling, 25-acre nursery.

このnurseryですが、販売用の植物を育てる場所という意味です。Korematsu一家はバラの栽培を生業としていました。

Korematsu家は強制収用所に行く際に、丹精込めたバラのnurseryを他の人に託すことになります。が、その人がちゃんと面倒を見なかったため、強制収用所から戻った時にはnurseryはボロボロになっていたそうです。

The Korematsus always set aside a number of mochi for a special purpose. Toy would stack three of the cakes, place a tangerine on top, and put one of these displays in each of the ten greenhouse for good luck.

このtangerineですが、日本でみる普通のみかんはカルフォルニアではこう呼ばれています。サイズはやや小さめ。

最後です。
Fred planned to leave the nursery behind and attend college in Los Angels to study business. But his plans were soon dashed. Fred's father could not afford to help a third son pay tuition.

dashは「打ち砕く」という意味があり、ここでは、Fredの計画は打ち砕かれた、となります。

2015-02-13 20.15.13.jpg
Amazon.comで$0.01 +送料$3.99でした。

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1

このアーカイブについて

このページには、Yoshinori Honda2015年3月に書いたブログ記事が含まれています。

前のアーカイブはYoshinori Honda: 2015年2月です。

次のアーカイブはYoshinori Honda: 2015年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。